自分の思考の制限は何故あるのか?

 

 

 

自分には、できないとか、それは無理だとか、思うときがあるなら、あなたは、自分の思考に制限を作っています。

 

 

 

あなたは、本来、無限の可能性があります。

 

でも、あなたはその可能性を自分で制限している場合があります。

 

自分で作る、自分への制限です。

 

 

 

自分には、向いていないとか、自分には、出来ないとかいう自分への決めつけは全て自分でレッテルを貼り付けてしまっただけです。

 

 

 

あなたは、無限の可能性があります。

 

 

 

自分への制限は、いったいいつ作られたのでしょうか?

 

 

 

人は生まれると、危険を回避するために、痛みを得た場合、その体験を記憶するようにできています。

 

 

 

生命を維持するためです。

 

 

 

たとえば、熱いヤカンや、ストーブを触った時、目で赤い色がきれいだなと思って触りますが、その後、強烈な痛みを経験します。

 

 

 

また、テーブルの上から、転げ落ちたり、テーブルのしたで、頭をぶつけたりした時も、痛みを感じで泣いたりします。

 

 

 

そのようなことは、赤ん坊の時に経験します。

 

 

 

そのように、痛みをさけるように、インプットしていくわけです。

 

 

 

自分の思考への制限も、同じように作られていきます。

 

 

 

思考の制限は、赤ん坊よりも、もう少し大きくなって自我が出来てからの方が多いのですが、

 

例えば、みんなの前で、なにかをしたときに、失敗したとき、恥ずかしい思いをしたとします。

 

 

 

すると、自我が傷つけられた状態、俗にいう、恥をかいた状態になります。

 

 

 

恥をかくとカッコ悪い思いをするので、それを避けようとするわけです。

 

 

 

身体の痛みではなく、心の痛みです。

 

 

 

失恋したときに、告白して、振られたら、傷つくので、もう告白するのは、やめておこうとか、

 

みんなの前で発表したら、笑われたので、自分は人前で話すのが得意ではない、

 

などと、制限をつけるわけです。

 

 

 

このような制限は、気がつかないうちに、沢山、自分に作っています。

 

 

 

制限を作ると、たしかに傷つかなくなるのですが、挑戦もできなくなります。

 

 

 

チャレンジできないので、刺激的な人生も送れなくなります。

 

 

 

現代では、色々なことが目まぐるしく変わるので、制限を作ることが自己防衛をしていた昔に比べると、逆に生きづらくするような結果になったりします。

 

 

 

本来自分を守るべきプログラムが、現代では、自分の可能性を制限して、自分を守らないような状態にしてしまっています。

 

 

 

では、どのように、自分の思考の制限を取り除くことができるのでしょうか?

 

 

 

自分の思考の制限にまず気がつくことです。

 

それには、悩んでいたり、怒ってしまったりしたときに、

 

自分が何故、そのような感情になっているのかを、ちょっと立ち止まって観察すると見えてきます。

 

 

 

そこには、心の制限があったり、思い込みがあることが多いのです。

 

 

 

病気になったりするのも、一般的には、悪いことのように思われています。

 

 

 

でも、よく注意してみると、良い制限が自分の身体にかかってくれたと、逆に考えることができるのです。

 

 

 

もし、疲れなかったら、きっとあなたは、自分の身体が壊れるまで働いてしまったり、したでしょう。

 

 

 

もし、病気にならなかったら、あなたは、きっと危険なくらい自分の身体を酷使していたかもしれません。

 

 

 

○○は悪いこと、○○は良いこと。

 

と、いうのも、固定観念なので、感情が動いたときは、自分の心に書き込まれていることに気がつくチャンスです。